イタリア人の食事は長い?南イタリアの思い出
朝8時前の職場にて。
羊雲。
赤い空は今朝の6時50分。
今朝授業中に、音源を切っているはずの携帯がけたたましく鳴り、びっくり。
見たら、北カリフォルニアで地震が起こり津波警報がでた、とのこと。
え〜、ここも北カリフォルニアなんだけど‥
ニュースを見たらもっと北の、オレゴンとの境に近いHumboldt Countyで起こったらしい。
震度は大きいが、被害がなかったのが幸いだ。
◌ ͙❁˚⚘*𑁍𓏸 𓈒◌
先ほど、朝イチの『綾瀬はるかさんが行くイタリア旅』を見て、若い頃に行ったイタリア旅を思い出した。
イタリアは何を食べても美味しく、また人が集まる所にイタリア料理あり‥
というイメージだった。
大学3年生の時に1か月行った、スペインの大学の夏期講習で、沢山のイタリア人の友達ができた。(←アルバイトでお金を貯めて行った)
で、卒業旅行で友人と2人でイタリアの友人たちを訪ねながらの旅をした。
成田からミラノに行き、最初の訪問地はかなり北のアオスタという所。
機内で日本人とイタリア人のハーフの同い歳の男の子と仲良くなり、突然行くことにした。
アオスタでは、彼の大学の友人たちも来てくれ、皆でレストランへ。
北は、クリーム系の料理だった。
これが、皆でワイワイ言いながら食べた最初の料理。
何かロマンスが生まれるかなあ、と一瞬思ったけれど何事もなく、
「チャオ!」と別れた。
南に行くまでの道中は、またの機会に書くとして、南での宴会が強烈だった。
最南端近くのレッチェという街に、イタリア人生徒の引率の先生と、知り合ったイタリア人生徒たちがいた。
先生は40代前半で独身。
その先生宅に皆で集まった。
アパートの食料をしまっている棚には、トマトソースの瓶詰めと乾燥パスタがずらり。
パスタもソースも先生のお母さんの手作り。
週末になると、洗濯物を持って、母親がいるバーリに行くと言っていた。
年老いた母親に、イタリア男はそんなことをさせるのか‥と思った。
(最初のイタリア旅行の写真が余りない。これは3回目のバーリにて。格好がバブル^^;)
ちょっと話がズレたが、久しぶりの再会で日本から来たワタシたちと、彼の生徒たちを、母親が持たせてくれた手料理で、もてなしてくれた。
宴会は昼に始まり、延々と夜まで続いた。
6、7時間くらいだったか‥
先生が「マンジャーレ、カンターレ、アモーレ♪」
と言い、皆でゲラゲラ笑ったのを思い出した。
その一年後、バーリにいる友人の所へ一人で行った。
何人か集まってくれ、夕食は6時に始まり、終わったのは夜中の12時だった。
実に6時間近くに渡り、食べ続けたのだった。
沢山のアンティパストと食前酒に始まり、プリモピアットと呼ばれる第一皿、第二皿、数種類のパン、その他にも何か食べたような気がする。
ウニのパスタが絶品だったのを覚えている。
食後酒を飲んで店を出たのが11時過ぎ。
人々が群がっているお菓子屋さんに皆が行くので、ついて行った。
クリームが挟まっていたので、カンノーリだと思う。
「もう、食べれない。」
というワタシの言葉を無視して、絶対に食べた方が良い、と買ってくれた。
食べ終えて別れたのが12時。
人が集まる所に美味しい料理あり。
料理を楽しみながら再会を喜び会話を楽しむ‥
イタリア人は人生を謳歌しているな、と思った。
これは30数年前のイタリアの田舎の話だが、その美味しい料理を作るのは母親たちで、大変そうだった。
友人アントネッラの母は、朝食が終わるなり昼食のパスタを作り始めた。
テレサの大学で働くお姉さん宅でランチをご馳走になったが、仕事を抜けて料理をしたのはお姉さん。旦那さんは手伝わなかった。
イタリアの田舎の方は、亭主関白というイメージだった。
当時、南ではアジア人が珍しく、石を投げられたり、カメラをむけて写真を撮られたりした。
イタリアは好きだけど、ここには住めない‥と思った‥
◌ ͙❁˚⚘*𑁍𓏸 𓈒◌
本日の夕食:
右が小さい胡瓜の糠漬け、鮭の塩麹+マヨネーズ焼き、焼いたカボチャとブロッコリー。
左がほうれん草のサラダ。
紫玉ねぎ、チーズ、アーモンド、洋梨入り。
ワタシの頭の中では鮭=白ワイン。
平日だけど、泡ワインの小瓶を出して、美味しく頂いた。
おしゃべりなモモ。
今にも喋り出しそうだ^^